ささみの呟き

独断と偏見でいろんな感想を載っけてく

オッペンハイマー 観ました

こんにちは。

ノーラン監督作品アカデミー総舐め、これは見るっきゃねえということで観てまいりました。

地元の映画館ではなぜか上映していなかったため、少し足を延ばしての鑑賞。結果、とても実りのある映画体験となりました。

 

【情報】

オッペンハイマー

監督・脚本:クリストファー・ノーラン

原作:カイ・バード&マーティン・J・シャーティン

オッペンハイマー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』

2024年日本公開のアメリカ映画
2024年4月に映画館で視聴(字幕)

 

【あらすじ】

第二次世界大戦の戦時下。

理論物理学の第一人者であるユダヤアメリカ人科学者・オッペンハイマーは、弟が共産党員であることを理由に共産主義者ではと言いがかりをつけられ、裁かれたくなければマンハッタン計画に参加しろと招集をかけられる。ナチス・ドイツとの原子力爆弾開発レースに勝つため、第一線の科学者たちを集め、広大な荒野であるロスアラモスの地に研究のための街を建設したオッペンハイマー

究極の状況下にありながら、科学者の叡智を結集させた研究の意義と、人命を奪う開発に揺れ動く。

 

【良かった点】

オッペンハイマーの人生を自分が生きたかのように感じる没入感。特に、核実験を成功させた瞬間の高揚と同時に襲い来る「私は死である」という実感、その後原爆を投下した後の勝利スピーチでの聴衆に重なる核爆発のリフレインのシーンが鮮烈でした。多分勝利スピーチのシーンは二度と忘れられない、究極のミッドポイントだと感じました。

▪科学の叡智の感動、それを使用する人間への善悪の問いかけがはっきりと提示されていたと思います。個人的にはハリウッドでこの内容の映画が作成されたこと自体が素晴らしいんじゃないかと。監督の手腕で素晴らしいエンタメに昇華されておりますが、「道徳的に核兵器を人間に使用するのはあり得ない」という現代の視点から描かれつつ、当時戦時下の狂気、人間の汚さも事実としてしっかり描かれていると感じました。

▪寝不足で観に行ったにもかかわらず、3時間に及ぶ会話劇が加速度的にのめりこめる内容になっていて、一瞬たりとも眠気が来ませんでした。

▪物語上最初の恋人でありファムファタル的女性・ジーンが、オッペンハイマーの人生から欠落した「思想」的存在であると感じました。(オッペンハイマーは「揺れ動く」人生でありたいと考えていたため、倫理観とは別に善にも悪にも染まる人間だった印象。確固たる「思想」があれば変わっていたのではないかと思います)この内容にとどまらず、作品前半にいくつも仕掛けられた伏線的な言葉やシーンが、後半でオッペンハイマーの人生の流れと結びつき、なぞかけのような1行にまとまっていると思います。(プロメテウス、連鎖反応など)なぞかけなので、前半の引っ掛かりが後半と結びつき一行にまとまりはするのですが、正解ははっきりと言えない問題ばかりです。

▪言わずもがな、役者の芝居が光っておりました。その芝居を引き出す仕掛けとして、原爆投下の映像を見るシーンで実際に役者に見えるように流していたり、冒頭主人公が宇宙を思考する抽象的な映像シーンは合成ではなく実際に主人公の目の前で装置を使って撮影されていたり、さまざまな工夫があったと知りました。

 

【ここはイマイチ】

▪映画本編にかかわる内容ではないのですが、日本語翻訳がたびたび的外れで、意味が通じづらいシーンがいくつかありました。3時間の会話劇でセリフが非常に重要な映画なので、残念だと思います。

▪本当に冒頭30分だけ退屈でした。ここの30分の情報をどれだけ真剣に集中して見られるかどうかで、そのあとの二時間半の映画体験が素晴らしいものになるかどうか差が付くと思います。

 

【上をどう直すか】

▪翻訳は、ノーラン作品は複数人でやるべき?

▪冒頭30分に関しては、視聴者の頭の中で情報の整理が行われているため純粋に楽しむのは難しいとは思いますが、とはいえ「どんな話になっていくのか?」の提示がもう少し早く出ると嬉しいなと思います。伝記ものなので、私自身がオッペンハイマーについて詳しく知らなかったことが退屈の原因の可能性が高いですが…。オッペンハイマーの人生の前提知識がある鑑賞者向けなら問題なく観やすいかもしれません。

 

 

3時間みっちり集中して見終わって、いろいろと考えたことはあるのですが、単純に「人間は恐ろしい」ということを強烈に感じました。科学の純粋な探求心に端を発し、自己顕示欲、独善的な思考、名声の渇望など、人間の汚い部分が時代の建前によって正当化され、非人道的な大量殺戮が行われる。一時の栄光と引き換えに「世界を破壊してしまった」オッペンハイマーは、その一生で罪を償うことはできないと思います。どこかで止まることができたんじゃないかと後から振り返ればいくらでもタイミングはあったのに、周りの人々だって止めることができたはずなのに(自分たちさえよければよいという無関心さの罪)、まさに「連鎖反応」によって引き起こされた悲劇だなと感じます。一種のバタフライエフェクト的な印象さえ受けますね。自分の日常生活の中でも何かのきっかけで連鎖反応が起きて、取り返しのつかない過ちを犯してしまいそうだなと震えました。

科学者たちのたゆみない思考の結果、莫大な力を持った科学的事実がこの世に産み落とされ、その科学を人間がどう使用するか?どのように受け止めるのかは非常に哲学的な問いかけだと思います。生活に役立つものが大半だと思いますが、莫大すぎる力、それが兵器になったときに人は使わずにはいられないのかもしれません。オッペンハイマーは自分が開発した核兵器による戦争で世界が破壊される未来を予測しましたが、今のところ地球はなんとか保たれています。しかしながら兵器開発の連鎖は止まっていないのは事実で、それこそ最も悲惨な連鎖反応だったのではないかと思います。過去に学ばず、自分たちだけ現在のリスクを排除したいがためにより強い力を求めるのが人間の性質ということでしょうか……。

 

いろいろ考えさせられる、ぜひみんなに見てもらいたい映画でした。戦争は遠い昔の話ではなく、他国では普通に現在も起きていることなので、この映画の内容を肝に銘じて生きていきたいですね。

 

それでは、また次回!